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太平洋戦争「重い言葉」

 昭和19年3月、ビルマ(ミャンマー)より2000m級の山々が連なるアラカン山系を超え、インド アッサム州の州都インパールを攻略するという「インパール作戦」が行われました。

 計画当初より制空権や補給の問題などが懸念されていましたが、戦局の悪化に伴い、作戦が成功すれば局面の打開になるという判断で決定がされました。

 投入された将兵8万6千人に対して、帰還できた将兵はわずか1万人あまりと、大きな犠牲を出して作戦は失敗します。

 犠牲となった方は、戦死した人より戦病者のほうが多かったといわれています。弾薬ばかりでなく食料や医薬品の補給が無いため、マラリアなどの病気になっても薬が無く、負傷しても消毒液も包帯も無く、そして食料が無く、病死や餓死された方のほうが多かったということです。

 作戦中止が決定され撤退命令が出ますが、撤退途中で力尽きて亡くなった方も数知れず、撤退路は白骨街道と呼ばれました。

 以前、近所の町医者の先生と戦争の話をする機会があり、この先生がインパール作戦に軍医として従軍されていたことを知りました。

 私は、その時、その場所はどういう状況だったのかと、いろいろ質問したのですが、「あまり思い出させないでくれ」ということで、多くは語ってもらえませんでした。

 

 この先生は患者に対して「親からもらった大事な身体」と、口癖のように言っておられ、それまでは「古臭いがんこ爺さん」というイメージを持っていたのですが、インパール作戦に従軍の話を聞いてからは、強烈な体験が言わせているのだと感じ、重く受け止めるようになりました。