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「終わりなき危機」(水野和夫著)を読む

2ヶ月ほど前に、経済アナリストの水野和夫さんが書いた「終わりなき危機:君はグローバリゼーションの真実を見たか」(日本経済新聞出版社)という本を題材にとりあげた、少人数の勉強会がありました。この会には、水野さん本人も出席されました。

この分厚い本を読み、勉強会に参加した私は、膨大なデータを基にして展開された水野さんの知見に触れて、驚愕とともに、今、此処、自己を生きる重大な知恵にめぐり合えたのではないか、というインスピレーションに打たれました。それから折に触れてはこの本のページを開き、水野さんの知見を自分の中で反芻しています。

その内容を紹介できるほどの能力は持ち合わせていないので、このブログを読んで何か感じるところがありましたら、ぜひ本書をお読みいただければ、と思います。

題名の「終わりなき危機」とは、16世紀に始まった近代資本主義の四百年を越える歴史が終焉の過程に突入したことに起因して、解決不可能な危機と動乱の時代を迎えたという著者の時代認識を示しています。その始まり(近代資本主義の終わりの始まり)が、1970年代の半ばであったことが周到な分析によって論証されます。①1973年に勃発した第1次オイルショック、②1974年にピークアウトを迎えた先進国の長期金利=「利子率革命」、③1975年、世界最強国アメリカのベトナム戦争での敗北、④先進国における一人当たり粗鋼消費量のピークアウト、⑤先進7カ国全ての出生率の2.1倍以下への低下、等。

著者によれば、その意味は、経済成長と同義であった「近代」の限界の露呈に他なりません(「実物投資空間」の飽和)。同じ事態は、歴史を500年遡った「長い16世紀」にも起こっていました。ヨーロッパにおける中世キリスト教社会の崩壊と近代資本主義社会の勃興、がそれです。前者を体現するのが「陸の帝国=スペイン」で、後者を体現するのが「海の国=イギリス」でした。著者は、先人の言葉を借りて、この大転換を「陸の時代から海の時代への空間革命」と定義していますが、この革命の軍事的メルクマールが、有名な1588年の英国艦隊によるスペイン無敵艦隊の撃破でした。

現在進行中の脱近代への移行過程(長い21世紀)を、著者は「海から陸への空間革命」と位置づけています。それは、海と空を支配した英米主導の時代から、膨大な資源を保有する陸の国々(ブラジル・ロシア・インド・中国・中東・アフリカ)及びEUに世界の重心が移動しつつあることを意味します。
そして注目すべきは、陸から海へと向かう「長い16世紀」と海から陸へと向かう「長い21世紀」が瓜二つというべき特徴を有していることでしょう。以下がそれです。

①歴史的に類をみない「利子率の低下」(世界に先行する日本の10年長期国債の利子は、今日まで16年もの間2パーセント以下を続けている!)
②「価格革命」(原油の価格は1973年第1次オイルショック前の2~3ドル/バーレルから2010年には75ドル/バーレル=25~40倍に達した!)
③「賃金革命」(日本の一人当たり実質賃金は、1997年から2010年にかけてほぼ1割減少した!)④「貨幣革命」(1973年チリクーデターに始まり1995年の「強いドル」政策で完成した「電子・金融空間」の創出=商業銀行による保有預金×最大12.5倍の貨幣供給から投資銀行による30~40倍の貨幣供給への膨張→欧米投資家による100兆ドル(1京円)の金融資産獲得!)

著者によれば、いち早くこの近代資本主義の限界に逢着したのが、ほかならぬ日本だったということになります。日本は、1970年代後半から80年代にかけて、「ジャパン アズ ナンバーワン」と称される絶頂期を迎えますが、それは早くも「バブルの物語」を随伴していました。そして、1989年のバブル崩壊とともに、「失われた23年」が始まったのは周知の通りです。
この過程が、日本の欧米への遅れではなく、先取りを意味している、というのが著者の主張です。
事実、欧米のバブルは日本のそれにほぼ10年遅れて発生し、2008年9月15日のリーマンショックで崩壊しました。日本でのバブル崩壊から数えて19年後です。

結論を急がなければなりません。経済成長が当たり前だった近代という時代が終わったのです。従って、「先進国」のデフレの長期化と資源国のインフレの進行は不可避であり、それに伴う「終わりなき危機」(長い21世紀)は、「先進国」の一人当たりGDPに主要途上国のそれが追いつき、今日現在10倍もある双方の物価水準の開きが一定の範囲に収斂するまで続くことになります。逆に言えば、今なお「経済成長」を求め続ける時代遅れのイデオロギーが、この危機を拡大し長期化しているのです。
最近世界で流行している「経済成長か緊縮財政か」といった議論が、何一つ時代の本質に触れえていないことは自明というべきではないでしょうか。

近代を脱けだして、どんな世界を構築できるか、という展望はいまだ詳らかではありませんが、少なくとも、脱グローバリゼーション=地域を主体にしたできるだけ自己完結型な社会、脱成長=定常型社会、脱技術信仰(原発、遺伝子工学、電子工学、金融工学等)=人間の営みを疎外することのない等身大の技術、脱化石燃料=持続可能な資源と自然エネルギーへの依拠、などの属性を持つ社会システムであると思われます。そのような「人類が経験してきた交換様式の第4象限」(柄谷行人さんの「世界史の構造」によれば、それは互酬が支配的な「ネーション」→略取と再配分を基調にした「国家」→商品交換が支配的な「資本」の後に訪れる時空間をさしています)へと、破滅を回避しつつ、いかにしてソフトランディングできるのか、これが今私たち一人一人に問われているのではないか・・・、というのが私が本書から受け取ったメッセージでした。さて、皆さんは、果たして本書から何を感じ取られるでしょうか。                                     (角田 記)

PS: 著者の水野さんは、現在、内閣官房内閣審議官(国家戦略室所属)を務められています。