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ヤンキー化する日本:斉藤環さんによる日本社会の精神分析

年も押し詰まった昨年12月27日の朝日新聞のオピニオン欄に、年末総選挙での自民党の勝利を、「日本社会のヤンキー化」の表れだと断ずる面白い論考が掲載されました。精神科医である斉藤環さんのこの論考は、あちこちで話題として取り上げられたので、目を通した方も多かったのではないでしょうか。

やや煩雑になりますが、その文章の一部を抜粋してみます。
氏は自民党の政権復帰について、「自民党は右傾化しているというより、ヤンキー化しているのではないでしょうか」といきなり核心を衝きます。
で、「私がヤンキーと言っているのは、日本社会に広く浸透している『気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ』という空疎に前向きな感性のことで、非行や暴力とは関係ありません」と続きます
。さらに「自民党の政権公約では『自立』がうたわれています。気合が足りないから生活保護を受けるようなことになるんだ、気合入れて自立しろという、ヤンキー的価値観が前面に出ています。」と。

安部首相のメンタル面についても、「心性はヤンキー的です。『新しい日本を』 『国防軍』と威勢のいい発言を繰り返したり、『ヤンキー先生』こと義家弘介氏を大事にしたりするのはその証左でしょう」と述べられています。
自民党の原発政策については、「ヤンキーには・・・・・、長期的視野に立った発想はなかなか出てこない。自民党が脱原発に消極的、なのは、実は放射能が長期的に人体に及ぼす影響なんて考えたくないからじゃないか。『まあどうにかなるべ』ぐらいにしか捉えていない節がある。」と。うーん、確かにそう言えそう・・・。

次の論点も興味深い。「ヤンキーは反知性主義です。・・・主張の内容の是非よりも、どれだけきっぱり言ったか、言ったことを実行できたかが評価のポイントで、『決められない政治』というのが必要以上に注目されたのもそのせいです。世論に押されて実はヤンキー化しているマスコミがその傾向を後押しし、結果、日本の政治が無意味な決断主義におちいっています」。
で私は知りませんでしたが、今全国の中学校では、「北海道の中学校で不良を立ち直らせたという伝説の『南中ソーラン』」が流行しているそうで、この踊りは「極めてヤンキー度が高く、薄い毒を予防的に注入して強力な毒になるのを防ぐというワクチン的な効果を発揮し、思春期の子供の反社会性をうまく吸収しています」というのが、斉藤さんの見立てです。

正直に言って、この分析には唸りました。今の日本社会に瀰漫する精神病理の見事な解明だと思います。この論考での斉藤さんの結論は「積極的ではなかったにせよ彼らの支持があったから自民党は圧勝した。もはや知性や理屈で対抗できる状況にはありません。ある種の諦観をもって、ヤンキーの中の知性派を『ほめて伸ばす』」というスタンスで臨むしかない」という極めて重いものですが、ちなみに、ここで「彼ら」と指示されているのは、「サイレントマジョリティーたるヤンキー層のこと」です。

斉藤さんのこの結論については、多くの真剣な議論が交わされるべきだと思いますが、私はこれが単純な悲観論だとは思いません。というのも、戦後的な「保守・革新」の対立構図が崩れ去った現状の下で、別言すれば、戦後日本のリベラルな言説(「知性や理屈」)の歴史的限界が露呈する中で、台頭するヤンキー的「反知性主義」に対峙できる主体を、どこに、どのようにして形成するのか、というのがこの論考の隠された真の主題だと考えるからです。

さて、この論考に触発された私は、すぐに斉藤さんの「世界が土曜の夜の夢なら:ヤンキーと精神分析」を買いました。この面白すぎる著作については、とても短文では紹介できませんが、たとえば、平成天皇の即位記念祝典での、元XJAPANリーダーYOSHIKIや今をときめくEXILEのパフォーマンスについての論考、ジャニーズ事務所所属のキムタクと詩人相田みつをに共通する感性についての言及、ネイティブにも勝る英語力でGHQと渡り合い、ロンドンはサヴィル・ロウにある老舗テイラー「ヘンリー・プール」仕立てのスーツを愛用した伝説の伊達男=白洲次郎のリアリズムがヤンキー的リアリズムと地続きなのではないか、という痛快な指摘、個人的な思い出でいうと、鬱どん底の40歳前後に出会った岸田秀氏(唯幻論、でしられる精神分析家。主著「ものぐさ精神分析」)についての批判的検討などなど、実にエキサイティングな読書体験を得ることができました。初版は、昨年6月ですが、本年おすすめの一冊だと思います。本日のブログはここまでです。最後までお読みいただき感謝です(^^;               (角田 記)